2012年04月10日 (火)
superficial(adj.)
1.表面の、浅い 2.表面的な、うわべだけの、思慮の浅い
(CASIO電子辞書搭載:ジーニアス英和大辞典より一部抜粋)
マドリード旅行の話、続きます。
今回、同窓会以外の時間は、IMD在学中のわっきーさんと一緒に旅程を過ごしたので、IMDでの様子を聞くことができました。
印象に残ったのが「superficial」という単語が使われるシチュエーション。
INSEADでの生活では「あの教授、なんかsuperficialだよねー」「そうそうsuperficial!わたしはあの人嫌い!」のように、教授を評するときに耳にする単語だった(汗)のですが、どうもIMDではグループワーク中に、グループメンバー同士で、その発言はsuperficialではないか、と指摘するようなケースがあるらしい。(誤解していたらすみません、訂正しますので。)
国籍の多様性が高く、ネイティブ英語話者以外の人がいる環境下では、superficialなやりとりで、その場を丸くおさめる、というのは一つの"うまい"やり方だったりすると思う。傷つけあわずに済むし、どうしても埋められない価値観の溝を掘り当ててしまうこともない。
多様性の高いグループワークでは、メンバー間がぎくしゃくするのは良くあること。INSEADの基礎科目のOrganizational Behaviourは、このぎくしゃくを和らげるように良くデザインされている(性格診断を受けさせてメンバー間でシェアさせる、学期の中間時点でメンバー同士のフィードバックをする等)のですが、superficialであることから一歩先に進ませるほどではなかったのかなぁ。。と。
一方IMDは、少人数プログラムで、個々人に心理カウンセラーがつき、自分をじっくり見つめなおさせ、日々のグループワークのやりとりを元に、どう感じたか、なぜそう感じるのか、、と考えさせる。カウンセラーとのやりとりが終わると、またグループワークが待っている。他のグループメンバーにも、心理カウンセラーがいて、似たような分析をやっている。
もちろん、INSEADの他のグループでは、メンバー同士でsuperficialなやりとりから一歩踏み込んでるところもあるかもしれないし、グループワークでsuperficialかどうか、と言及するのは、パーソナリティに負うところも大きいとも思います。
それでもなお。superficial、という単語の使われ方を通じて、INSEADとIMDの特色の違いを強く感じたのでありました。ぱっと見、似てるようで、全然違うのです。
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